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今回の旅のメインイベントだったMI LANO万博を一日堪能して、翌日はミラノチェントロ(中心街)をのんびり散策。二人ともミラノは初めてではない。私は何と!20年ぶりだけど観光名所を回るのではなく、ちょっと刺激的なインテリアショップを訪ねることに。
少し前に建築雑誌か何かで見かけてメモしておいた住所を頼りに…ちょっとやそっとじゃ見つからない! 近所のおじさんに聞いて、古いビルの中庭を抜けてベルを押してお店のスタッフに案内してもらいながら。そこは古いネクタイ工場跡地にリノベーションされたアート感覚あふれる家具や雑貨の隠れ家ショップ。二人ともこういうのを見るのが大好き!
腕時計の形をした椅子。半分ずつ全く違う柄のカップ&ソーサー。宝物が埋め込まれたテーブル。商品になっているのが信じられないほど遊び心があふれている。実用性とアートの絶妙なバランスでセレクトされた作品群は私たちに大いに刺激を与えてくれた。現実的にどれが欲しいというのではないけど(とても衝動買い出来る金額ではないし)これ一つがある空間が、どんなに心躍る時間を作り出すだろう…と想像すると、安くて画一的な、実用的すぎる組み立て家具に慣れてしまっている毎日に、少なからず物を創造する仕事に関わっている者として心揺さぶられるものがあった。二人とも大満足して他にいろいろ見過ぎると印象が薄まってしまうのが惜しいから、もう帰ろう〜!
チョコレート買って帰ろう〜!と他のウィンドーショッピングは割愛したほど。
3年前の2か月のイタリア滞在と違って今回は6泊8日の駆け足旅行だったにもかかわらず、とても充実した時間を持つことができた。今までには経験したことのなかったスタイルの旅で、イタリアの友人知人を訪ね、大好物の生ハムの本拠地?に乗り込み!(電車は乗り間違えたけど…)そして観光二の次で「今の、ミラノ」を感じる旅。ピンポイントにこだわりを持ったこんな旅もいいもんだな〜と、結構自己満足。私の旅計画に好奇心いっぱいでご一緒してくれた京子さんにも大感謝です!
Mille Grazie!
イタリアのお土産話にお付き合いいただきありがとうございました。
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「恵津さん〜ミラノにいらしたら、寄ってね」若き学友Saayaちゃんがそんなメールをくれたのは春先。まるで千葉県民に鎌倉散策の折に〜って誘ってるみたいに。彼女はミラノ万博の日本館のアテンダーに採用が決まって会期中の半年間ミラノで頑張るという。誰かに言われた「恵津さんって、好きなことの実行力抜群だよね」を褒め言葉と思ってMILANO万博行っちゃおう〜!と思い立った。
実は結構な万博好き。今回ご一緒した京子さんはイベントのプロデュースや展示会や店舗の空間演出のプロ、1998年のポルトガル万博のお仕事も実は京子さんのプロデュースで日本館内の壁面画などに関わらせていただいた。私は大阪の花博の仕事もやったり、つくば博の時に筑波に引っ越したり(これは仕事に関係ないけど)なんとなく万博に縁があると思い込んでて、今回のテーマが「食」と聞いて行きたくてウズウズして来たのだ!
なので旅の後半は、ちょっと今後の自分のクリエーター的な部分にカンフル剤を!と視察モードに切り替えた。
奇抜なパビリオンは万博の最大の見どころだが日本館はちょっと大人しめ。伝統的な立体木格子のエントランスにカラフルに彩られた樽酒が積まれ、シンプルなスロープの真ん中に大きな松が一本。時々、忍者が現れておりました。「日本館GIAPPONE」(Japanではなくイタリア語ではGiappone)はイタリア館と並んで1時間待ちくらいで人気1位争いを。展示内容は日本人のまじめさや几帳面さ、一生懸命な演出が隅々まで。ビジュアル面でも映像の最
新技術や、「季節感のある美しい食べ物」を広く知らせ、「和食」を正しく教えたい…という意味では群を抜いたものを感じた。ちょっぴりハイテク過ぎて、ついていけないおじちゃんおばちゃんも多かったけど、バーチャルレストランなど参加型の演出を皆すごく楽しんでいたようだ。
ハイテンションで出てきたら、ちょっと寂しいフードコートと控えめ過ぎる物産展が、何とももったいなく、ここでも日本人の「押し」の弱さやPR下手が露呈。絵に描いた餅がすごく上手く描けてるのに、餅の焼き方も知らんのか!?…って、あれ?これって、なんだかオリンピックの新国立問題に似てない?
海外に行くと本当に日本のことがよく見える。良いところ悪いところあれこれ。会期は10月末日まで。ミラノにいらしたら寄ってみては?
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MILANO・ナヴィリオ運河沿いのバールでアペリティーボなひと時を…なんて、旅雑誌のキャッチコピーみたいね。もともとは工場地域だったちょっと下町っぽい運河の残るエリアが、今ミラノで一番ホットな場所らしい。折しも月末の日曜骨董市で賑やかそう。
最寄り駅の「Porta Genova」駅の時計の下でSaayaちゃんと待ち合わせ。3年ぶりの再会だ。3年前の4月、私が帰国前日フィレンツェのアパートでカレーパーティーをやって以来。(詳しくは絵手紙コラム2012年4月を)Saayaちゃんとはヴェネチアにも行った。よほど運河に縁があるのかな?
変わらぬ素朴な笑顔で、アペリティーボに連れて行ってくれるという。アペリティーボとはミラノ発祥のハッピーアワー的食習慣。もともと食前酒という意味だが、食事の前にバールでおつまみをつまみながら一杯。ディナーの待ち合わせや仕事の帰りに、「とりあえずビール」のその一杯を別の店で飲んでから向かう…というもの。イタリアの食事は8時や8時半くらいから始まる。夏は特に日が暮れるのもその頃。でも最近そのおつまみがとても充実して、一杯の飲物代金(5ユーロから10ユーロ)を払えばビュッフェタイプのおつまみ食べ放題。ハムやチーズだけではなく、パスタや肉料理、サラダ、デザートまで今時のイタリアンをお試しでき、特に人気のナヴィリオ運河沿いには、おしゃれな店が多く人気なのだそうだ。お酒だけかと思ったら、カクテルのように華やかなジュースもあり、夕食の時間としてもボリュームとしても大満足!
これで十分! あれこれつまんで楽しいひと時だった。
骨董市でちょっとおじさんと値段交渉のバトルも。私のあまりにも逞しい値切りっぷりに、みんなタジタジ。(私はアルコール入ってないけど…)ゲットした小さな黒い犬のマスコットにナヴィリオならぬ、「ネギリオ」君と名付けて、笑えるミラノの思い出にしたかった。ネギリオ君とは以後旅は道連れと相成った。
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いよいよミラノ。ミラノは都会だから気を引き締めて!と思った矢先の事だった。地下鉄の乗り換えエスカレーターで京子さんが財布をすられてしまった!
乗り換えた車両でバックのファスナーが開き、財布がないことに気が付いた。さっきのエスカレーターだ! 日本式に?片側を急ぐ人のために空けるのはミラノは右かな?左かな?と思った瞬間、結局詰まってしまって2〜3段先に立つ京子さんの隣にピタッと30代くらいの若い女性が…その時は気づかなかった。親切が仇になった。二人で並んで乗ればよかったと悔いる。京子さんも十分旅慣れた人なのに…「敵」はプロだ。一瞬流れが詰まったことを考えると、先に行く2〜3人もグルだったのかもしれない。私はウン十回海外旅行に行っているが、幸い一度もスリや置き引きなどの盗難被害にあったことはない。だから一層油断しないように緊張感は増している。
でも身近な友人や同じグループで被害にあったケースは何度かある。以前仕事がらみでヨーロッパによく訪れていた頃、立て続けに同じ社長夫人が被害にあって「敵」もお金を持っている人を見極めるんだな〜と感心したものだ。また、ロンドンの地下鉄のエスカレーターで友人はビニールのナップサックを切られて、財布によく似た名刺入れを取られた。だから犯罪の瞬間をたとえ目撃しても、ナイフなどを持っているかも…と思えば、その手をつかむ勇気があるだろうか…と思う。ケガなどがなかったことを良しとすべきだ。
皆、財布を狙われている。シンプルなデザインのBagやウェストポーチから財布だけ抜かれている。一瞬の指先の感触で財布を見極めているのだ。どうしてみんな「財布らしい財布」を持って行くの?
私は旅行の前夜儀式のようにする作業がある。100均などで売っているファスナーポケットが2〜3段ついているビニールのポーチ3個にお金を振り分ける。一つ取られても被害を最小限にするためだ。クレジットカードもそれぞれに入れ、もちろん全部のカードを両面コピーしたもの、パスポートのコピーも控えに。メモとボールペン(値段が聞き取れなかった時に、即書いてもらうため)それらを3セット作って+日本円用も。(帰国日まで不要なSuicaや家の鍵を入れてパスポートと一緒に預けるのだ)それらの財布代わりのポーチにはダサい鈴やストラップを付けて、かばんの中で一番安っぽいものにするのだ。
電車やバスの中で居眠りをしない、ドアの近くに立たない、人が多いところでは常にかばんに手を添える…は言うまでもない。ちょっと不自然に押されたりここだけ混んでる状態は要注意!
テキパキ行動、油断しない! 遠くからこの町に、恋い焦がれてやって来たお客様に、何ておもてなしなんだ!と腹が立つけど、こんな緊張感を超える魅力が、旅にはあるからまた行っちゃうんだけどね。
かくしてカードはすぐに止めて、翌朝中央警察に盗難証明書の申請に、ちゃんと日本語の用紙もありスムーズに終了。京子さんはきっと、帰国後いろんな再発行に追われただろう。でも大丈夫!
Grazie! と京子さんは元気だ。
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大きな鳥の声で目が覚めた。お散歩に出てみよう…冷たい空気。朝霧が立ち込めて、足元の草を濡らしている。イタリアに来てずっとカンカン照りの晴天続き、この湿度が本当に心地よい。
この宿は1320年に建てられた領主パラヴィチーナ伯爵の館。小さな部屋の窓からは、ただただ原っぱが広がる。散歩する私たちをず〜っとみているのは放牧されている白い牛たち。そう言えば、あの大きな鳥の鳴き声は…ええええ〜?!
煙突の上に登った?孔雀のつがいが呼び合っている。飾り物かと思ったら羽をバタバタさせて、朝の静けさを破っていた。
敷地内の菜園で作られている野菜やハーブはすぐに調理場に運ばれる。作業中のお兄ちゃんが小ぶりの人参を私たちのためにごそっと抜いて洗ってくれた。新鮮すぎる朝の味だね。
日本から来たというと「福島は大丈夫か?」と尋ねられた。一瞬、福島で農家を続けられなくなっている、現状もあることが頭をよぎる。
「Grazie grazie たぶん…bene. 大丈夫。」苦笑いの私たち。
「ここに泊まってるの? 最高だろ? 楽しんで」(てなことを言ったと思う)
浅黒く日焼けした、結構かっこいいお兄ちゃんと一緒に、ちゃっかり写真を撮ることを忘れない私たちでした。
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大好物の生ハムを食べるためにパルマに行く〜! 列車乗り間違えたって絶対たどり着いてやる〜! そんな気合で行くParmaはフィレンツェとミラノのちょうど中間くらい。美食の都として知られ、チーズ、パルメジャーノ・レジャーノそして、プロシュット・ディ・パルマと呼ばれる生ハム、バルサミコ酢などの美味しいものの生まれ出る町なのだ。
今回の旅のアクセントはそんなパルマ郊外の、星付きレストランを抱くオーベルジュでの滞在。もう夢心地でございます。でも気合いとは裏腹に、冷房無しの長距離電車に揺られ過ぎて、熱中症一歩手前。腹12分目くらい食べるつもりが、腹5分…残念な状態だったけど、自慢の生ハムの最高峰、黒豚クラテッロはしっかり頂いた。
ポー川南のこの辺りは霧による湿度と寒さが伝統的な黒豚の飼育や熟成に適し、オーベルジュの地下の熟成室には有名なレストランの売約済みの木札が沢山下げられた生ハムの塊がどっさり、2年3年と出番を待って眠っていた。湿度や香りづけのために床に赤ワインを撒くこともあるそうだ。
ガラス張りのリストランテのテラスには、固い実を付けたぶどう棚が西日を遮り、午後8時頃やっと日が落ちてディナータイム。さて、3種のクラテッロ盛り22ユーロ。黒豚37ヶ月熟成もの、白豚18か月と27か月熟成もの…明らかに違う味。「わ〜〜違うね〜違いがちゃんと判るね〜〜美味しい〜〜泣きそう〜」至高の生ハム、至福の生ハム。ふふふ。
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今回のイタリア旅行は仕事関係の先輩でもあり、MADAMADAMのリーダーでもある京子さんとの二人旅。仕事のスケジュールだけバタバタと調整して全体のプランは私に任せられていた。
成田からアリタリア航空でローマで乗り換えてフィレンツェへ。フィレンツェで2泊した後、列車でパルマへ向かう。スーツケースを下げて途中ボローニャで乗り換える。3年前にもこのボローニャでは何度も乗り換え移動を経験済みだし今回は二人、何とかなるだろう…しかし!間違えてしまった!
そろそろパルマに着く頃か、検札に来た車掌さんが「NO! この列車はパルマに行かないよ。ミュンヘン行きだよ」「ええええええ〜!」予定の同じ時刻発の国際列車があったのだろう。ボローニャ駅でエレベーター優先でずんずん進んで、確認不足だった。さあ大変!
とにかく次のベローナで降りてボローニャに引き返すか…別のルートは?…車掌さんが(さすがプロ!)「ま〜この方法もある。ベローナ→ブレーシャ(そこから地方FS線に)→パルマ。パルマに着く時間はわかんないけどね。とりあえずここまでのお金払ってね」ぐすぅ。
パルマでホテルから手配してもらっている車が迎えに来てくれる段取りだ。ホテルに電話をしなくてはいけない。この先のチケットを買わなくては。ブレーシャ?聞いたことないそんな駅。不安山積みだが京子さんはダッシュで駅の窓口へ、私はホームで荷物番。たぶんこの列車…発車3分前になっても京子さんは帰ってこない…。一人では乗り込めない荷物…そんな私の頭の上から、にょろっと生暖かいものが…うそでしょ!?
漫画か〜!? 泣きっ面に蜂!見知らぬ駅で鳥の糞!
それでも何とか、クリアして、のどかな各駅停車の田舎旅が続く。冷房のない車窓から熱風が入り込み、ひまわり畑を見ながら、パルマには4時間遅れで到着した。駅から車で45分、夢のような素晴らしいオーベルジュが疲れた私たちを迎えてくれた。
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今回のイタリア旅行のテーマは「食!」と断言して旅立ったのだが、フィレンツェでは友人知人との再会、そしてヴェッキオ宮を訪問する事も、大事な自分の中の課題だった。今回イタリアに導いてくれたレオナルド・ダ・ヴィンチ「アンギアーリの戦い」展のパンフレットの仕事は、あらためてルネッサンス美術の奥深さを教えてくれるものだった。
シニョーリア広場を見下ろす政庁舎「ヴェッキオ宮」の五百人広間はフィレンツェ共和国の会議場でヴァザーリ派の戦いの壁画で覆われている。そこに実はダヴィンチとミケランジェロの競演となる戦闘画が飾られるはずだった…というちょっとミステリアスな隠れた歴史。フィレンツェ軍とミラノ軍の戦い(場所はアンギアーリ)で勝利したフィレンツェ政府の依頼でダヴィンチは今までにない躍動的な戦闘画に取り掛かったが、悪天候?と絵の具の不具合で途中で嫌になっちゃった!で、放棄。しかしその下絵は、のちの画家たちに大いに影響を与えた。若きライバルのミケランジェロも同じ広間にピサ軍との戦いの戦闘画を依頼されたがそれも中断。2大巨匠の壁画が並ぶことはなかった。その下絵の雰囲気は現状のヴァザーリの壁画とはかなり趣が違う。
五百人広間の真ん中で想像してみたかった…もし、ダヴィンチとミケランジェロの壁画がここを飾っていたら…500年ほどの時を超えて…。そんな楽しみ方ができるのも、旅の醍醐味。
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「は〜い! えつ〜! チャオ〜!」Cinziaの声が階段の上から響く。
「sono ETSU! Buongiorno~! Cinzia~!」3年ぶりの懐かしいフィレンツェの下宿を駆け上がるとCinziaの笑顔が迎えてくれた。
相変わらずイタリア語の進歩のない私に、爆笑しながらも大好物だった(覚えてくれていたのね。感激!)マチェドニア(フルーツポンチ)を用意してくれた。今の下宿人も日本人でオペラの勉強に来てるという。アパートの前には中国人が経営する寿司屋が出来て、私は毎日日蓮宗のお経を読んでるけど、日本語は全く分からない。だから片言のイタリア語でも理解できる恵津は大したものよ…と、なんか褒めてくれているようだ。しばし会話にならない会話を楽しんでCiao!
Ciao! と別れた。
徒歩7〜8分の学校にも立ち寄ってみた。入口で校長先生が「あ〜〜〜! 恵津さん〜ちゃ〜お〜! Vieni vieni〜!」と招き入れてくれた。談話室には私が描いたイタリアのスケッチポストカードがきれいに額装されて飾られていた。3年前の一生懸命だった毎日が蘇る。(イタリア便りは絵手紙コラム2012年3月〜をご覧ください。)
今回は急に決めたあわただしい滞在のフィレンツェ。5月に東京富士美術館で開催の美術展「レオナルド・ダ・ヴィンチとアンギアーリの戦い」展の公式パンフレット(詳しくはWhat's
Newをご覧ください)のためにフィレンツェのイラストマップを出版社より依頼され、3年前にたくさん写したスナップを見直して描き上げた。その多くのスナップも、とても生活感があると大量に採用されてパンフレットを飾った。とてもいい形でフィレンツェにお礼ができたような気がして、このパンフレットを届けに再び訪れたいと思い立ったのだ。
同じ頃にいた若き学友たちはそれぞれに活躍している。お菓子作り修行にきていたKeikoはお洒落なフィレンツェのお店のパティシエになり、やさしいイタリア人と結婚していた。数年以内に二人でお店を出すのが夢と語る。Saayaは日本の大学に戻り就活、Milano
EXPOの日本館のアテンダーに採用になり、今回のイタリア旅行でミラノでの再会を約束している。修行中だった家具の修復師Zouganisutaの望月氏は自分のアトリエを構えていた。今回のフィレンツェ滞在は「楽しい嬉しい再会」に費やした。
そうそう! もちろん「アンギアーリの戦い」ゆかりのヴェッキオ宮500人広間だけはちゃ〜んと訪れましたよ。
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