■2012年4月の「絵てがみコラム」
 

パンがちょっと足りない、最後にCarciofo( アーティーチョーク) のオイル漬けも、生ハムメロンもたっぷり食べよう。朝からポンテベッキオ近くのスーパーに急ぐ。今日は終戦解放記念日でイタリアは祝日。日本からたった一箱持ってきたカレールーで、学校の若い子を呼んで、家でカレーパーティーだ。「日本から船便の荷物が丁度着いたんです!」と即席ご飯。一年の予定の留学生にとっては貴重なご飯の提供も受けて、豪華な最後の晩餐ならぬ、贅沢Banchetto(昼食会) になった。
あっという間の2か月だった…けど、たっぷりだったような気もする。一日一日が餡子ずっしりというような。肝心のイタリア語はほとんど進歩しなかったけど、昨日も市場であれこれ買い物できたし、何より遠い一人旅もできた。自分には甘いので、ま〜いいんじゃない?って。昨日、つり銭の中に2ユーロ硬貨によく似た古い500リラが混ざっていたことに気付かず、次で使って指摘された。ああ。どこかでだまされたんだな…って。イタリアでの災難はこれだけ。安い授業料だ。
2か月いても見切れない美術館はいっぱいだけど、自分の小さな速攻スケッチブックは2冊。幸せなことに日本から「フィレンツェ」の絵の依頼もすでに入っている。改めて最後に再びボティッチェリの「春・Primavera」を見てきた。この絵との再会から始まったFirenzeでの春。このイタリアの旅で何を得たのか、みんなに聞かれるだろうな…すぐには答えが出ない気がするし、もしかしたらもう出ているのかもしれない。フィレンツェに来てすぐに友人と2階建て観光バスに乗って見た、ミケランジェロ広場からの景色。夜景を見にCinziaが連れて行ってもくれた。三度、市バスに乗ってゆっくり眺めに行ってみた。さよならArrivederciだね〜Firenze、また会えるといいね。
そろそろパソコンを閉じて、久々にスーツケースを開かなくては…。

 

 
 
  クタクタだね。よく頑張ってくれた。ずっと一緒だった黒のショートブーツと斜め掛けにできるBagに、間もなく別れを告げる。ブーツは中も外もボロボロ、正月のセールで買った新しいものだったのに、何度も接着剤でゴム底の修理をしてそこを保護するガムテープを張り、それが目立たないように黒のサインペンで塗って…。いかにイタリアの石畳が手強いか。それに毎日よく歩いた。美術館も博物館もほぼ石の階段。塔にもバカみたいによく上った。( ピサの斜塔は気持ち悪いくらい傾いていて、足にも変な力が入った。) イタリアの大地をたくさん踏みしめられたのだから、靴も本望だろう。Bag は買い替えるつもりと防犯を意識して使い込んだものを最後の旅に連れ出した。これもあちこち傷だらけ、金具の付け根も怪しい。イタリアメイドのBagだから故郷に還るということで、許してほしい。ずっと一緒だったから、なんだか日本に連れて帰れないのが心苦しいのだ。ごめんね。
フィレンツェは良い皮革製品が多い。あれもこれも欲しくなる。半端なコピー物を売る屋台から高級ブランドまでピンきりだけど、「長年家族で作っているオリジナルだよ」って片言会話でおまけしてもらう、無名のお店で買うのも楽しい。ブランドもののBag一つで30個くらい買えそうだ。どれを選ぶかはあなた次第、センスを問われる。
ここ数日あわててお土産探し。最初は馬鹿にしていた、いかにも…って感じのお土産物も案外いいかも。来年のカレンダー…そういえばVeneziaのお店のお兄さんは「僕たちは明日を見つめているのだ!」とかなんとか、流ちょうな日本語でセールスしていたな。
今回の写真は旅の仲間だった靴とBagとカメラと…記念に描きました。猪のブロンズ像がある、新市場のロッジアというお土産物の屋台街。幸運の猪?とか言われて、なでなでしながら記念撮影が定番だが、足元にブロンズの蛙が一杯いることをみんな気づいていない。

 

 
 
 

20年ぶりのヴェネツィア、やっぱり世界中からの観光客があふれていた。水の都は数あれど、ここが本家本元! 圧倒的な水だらけの不思議な土地だ。土地というか…杭の上の…しかし、危機感も感じる。20年前より明らかにイタんでいる。サンマルコ寺院の美しい床のモザイクもなんだか水浸し…心配。
金曜日は雨が降ったりやんだり、夕食を終えて店を出た私たちは、ガタガタ何やら台座を準備している様子を見て、明日の朝市の準備? あれは、団体さんの写真を撮るための台じゃないの? なんて呑気に話していたら、大変!水が水が! もしかして? 冬だけじゃないの〜? あの有名なアクアアルタ( 高潮) の始まりを目撃。その台座は高床式?渡り廊下だ。慣れた手つきで町の男たちが設置していく。サンマルコ広場にもじわじわと、水が湧きだし水たまりが増えていく。波打ち際も水が最後の階段を超えている。ちょっと恐怖を感じながら, 設置されたばかりの渡り廊下を伝って宿に帰った。大事には至らなく、翌朝には何事もなかったように水は引いていた。
土曜日は気持ちの良い快晴! 私のリクエストは「別の島に行きたい! できれば、Burano島、それから、サンマルコ運河に突き出た埠頭に立つ「カエルを持つ少年」像を見たい!」そんなマニアックなリクエストに学校の友達は快く付き合ってくれた。
Burano島はVaporettoと呼ばれる乗合水上バスでVenezia本土?から40分ほど、カラーテレビの色調整に使われる画像?と思うようなカラフルな家々が連なるかわいい町。興奮して島に着いたとたん、みんな写真撮りまくり! これは、霧の日に船出した夫の帰りを待つ家族が、帰るべき自分の家がわかるように個性を競って家の壁を塗ったと聞く。それが半端ではないカラフルさ。どの家が好き?自分だったら何色に塗る?と会話も弾む。色って楽しい。
帰りにガラスで有名なMurano島にも上陸。素晴らしいアート作品から手ごろな値段のお土産物まで、きれいなガラスを見て歩くのもワクワク、思わず知らず知らずのうちに、連れて帰るべきケロちゃんを物色。そしてもちろん…。課題のある旅は本当に達成感がある。( 課題のレベルは色々あるが。)
Venezia、やっぱり独特な魅力のあるところ。一度は行ってみたいとみんなが憧れる魔都、ゴンドラにはアツアツのカップルがいっぱい。夕暮れ時は一層ロマンチックだ。ああ。今日は結婚記念日だな…。彼が生きていたら丸16年、奮発して二人でVenezia来れてたかな…なんてチラッと思ったり…。私のイタリアの旅ももうすぐ終わり。

 

 
 
 

トスカーナの田舎料理教室、体験してみませんか?してみる、してみる〜! と言うわけで、料理上手なイタリア人御主人がシェフ、日本人の奥様が通訳とアシスタント。山の中の素朴な暮らしを拝見できるご自宅での料理教室に参加。
このご家族の暮らしぶりはNHKでも紹介されたので、ご存知の方も多いのでは? 市バスに乗って30分、終点に奥様が車で迎えに来てくださった。参加者は私のほかに日本人旅行者3名。私たちを乗せた車は信じられないような山道に入っていった。失礼ながら、本当にこんなところで生活していらっしゃるの?雪が降ると何日もひきこもり、だからかなり自給自足。野菜は畑で卵はさっきから鳴いているあの鶏が、デザートのクルミも山で、パンも焼く、チーズは挑戦したけどなかなか難しくって…などと会話が弾みながらもご主人の手元はテキパキと動く。
本日のメニューは、antipasto ソラマメのピュレー、primo ソラマメとパンチェッタのトロッコリ(パスタ)、secondo アーティーチョークの詰め物、dolce ノチーノ風味のセミフレード…。市場でたくさん見かけたアーティーチョークの料理、みんな興味津々だ。あくが強くすに変色してしまうので、手にレモンを擦り付けて周りの一蹴皮をむく、剥いた部分切った部分にレモンを塗りながら作業は進む。ミントもたくさん使う。見たこともない料理だ! 食感は筍に似ている、剥いて剥いて食べるところが少ないのもちょっと似ている。しかし味は何とも不思議な美味しさ。パスタは粉から練ってみんなで切る。不揃いなほうがおいしいよと励ましの言葉。旬のソラマメも日本のものとはだいぶ違って小さくて柔らかい。生でも食べられる。チーズと交互に口に運ぶのがイタリア流だ。どれもおいしく大満足! 日本ではなかなか手に入らない旬の素材だから、日本で再現するのは難しそう(変な期待をされたら困るので、そういうことにしておこう…。)
それにしても、旅先も過ごし方もずいぶんマニアックだね〜の声。実は2か月もイタリアにいて、メジャーなミラノ、ローマ、バチカン、ナポリ、人気のアッシジやシエナなども行く予定がない。唯一ヴェネチアはこの週末、学校の若い子と一緒に行こうと約束をしている。過去3回のイタリア訪問でそのあたりは一応行ったことがある…という程度に行ったことはあるのだ。何度も行きたい魅力的な町ばかりだけど。私の滞在中にイタリア行こうかな〜と数人の友人が、彼女たちが来たらご一緒するかも?と一人旅の行き先としての優先順位を下げていた。結局仕事が休み辛いGW 直前、航空券もぐっと値を上げる4月、無理においでおいでとは言えず、誰も来ることはなかった。
もっとも私の旅の目的もはっきりしていた。今回は滞在型の暮らすような感覚を楽しむこと。これは学校に行く、ホームステェイをする、アパートを借りるという段階でほぼ達成できているような。そしてなかなか行けなかった、フィレンツェ近郊の小さな町を訪れること。サンジミニャーノ、ルッカ、アレツォ、オルヴィエート、リミニ、サンマリノ、ウルビーノ、ピサ…もっと行きたい小さな町はあるけれど、不便なんだよね〜。そして、南の「イトリアの谷」への遠い旅。マニアックと言われても仕方がないか…。ま〜私流ってことで。

 

 
 
 

スケッチのレッスンも最終回、毎回楽しかった。考古学博物館、ガリレオガリレイの科学博物館、ボーボリ庭園、オンサンミケーレ教会の2階、観光だったら行かないような動物学博物館…。膨大な本物のコレクションを実際見ながら描ける贅沢。速攻スケッチもすっかり慣れて毎日の習慣になった。最後は何度も歩いたアルノ川を対岸から順番に描いて行く。14〜15世紀の豪奢なpalazzoが並ぶ。「建物の縦横の比率を瞬時に捉えなさい。影をシンプルかつ的確に、山を緑だと決めつけるな…」たくさんのヒントをもらった。ありがとうLuca先生。淋しくなっちゃうな〜。
友人はイタリアの嫌なところはないの?と聞く。手帳を見直してみると、「イタリアのなぜ?」というページに箇条書きのメモ。
●トイレの便座がない!駅やBAR( バール) のトイレで高い確率で便座がないのだ。この疑問は20年前と進化していない。最初は壊れたまま直していないんだと思っていたけど、ど〜も最初からないようなところも…。公衆トイレでお尻をつけたくない気持ちはよ〜くわかるけど、便座がないってどうよ〜?有料(だいたい0.5ユーロから1ユーロ)なのに便座くらいつけてよ〜。
●駅に改札口がなく、切符はホームの入り口などの柱の陰にある自動刻印機に差し入れてガチャっと刻印させる。これはバスも同じで忘れたり、機械が見つからなかったなんて言い訳無用。検札が回ってきて高額な罰金を請求される。先日も乗り換え時間がないのに刻印機が見当たらない! あったと思ったら壊れてる〜! 重いリュックを背負ってホームを上ったり下りたり、もうまるで罰ゲーム! 頼むよ〜もっとたくさん壊れてないのをお願い!(後から知ったけど指定席の切符は刻印要らないんだって、それならそ〜と…)
●やっとの思いで指定席にたどり着いたら、たいがい誰かが座ってる。ここは私の席よと交渉しなくてはならない。イタリア人〜自分の席に座ろうよ。
●あんなに絵ハガキ売ってるのに切手がない! Tabacchiといわれるタバコ屋さんで売ってるのだけど、売り切れ〜って5軒に1軒もない。補充しようよ〜。
●4月後半から月末まで、文化週間で国立の美術館博物館の入場無料。素晴らしく太っ腹!年間パスポートみたいな、ウフィッツイカードを買ってしまった私は、ほとんど元とれず、負け〜って感じ。教えてよ〜!…って教えてくれていても聞き取れてないね…とほほ。
●洗濯機が脱水まで1時間半くらいかかる、しかもごう音。先日(ここは室内干し)夜、洗濯していたら深夜に及び、しかもブレーカーが落ちてしまった。真っ暗な中、博物館みたいに石膏像が並ぶアパートの階段を下りて機械室へ…怖すぎる〜。
ま〜そんな事も色々あるけど、体調を崩すこともなく、危険なことに遭遇することもなく、ここまで過ごせている幸せ。ありがたいことです。

 

 
 
 

アルベロベッロから電車を2度乗換え、約9時間かけてフィレンツェに戻ってきた。バーリからはずっと右手にアドリア海を見ながら、ブーツ型のイタリアの、ふくらはぎのあたりをぐっと北上する。
実はこの電車の切符を取るぎりぎりまでプラスアルファの旅を思い悩んでいた。バーリから一晩フェリーに乗ってアドリア海を渡り、対岸のクロアチア・ドブロブニクへ行くプランだ。かねてからここも行ってみたいところで、何度も地図とにらめっこ、フェリーの時間も調べていた。しかし、夜のフェリー、深夜まで港町で一人出航を待つのも不安だった。そして何より、「欲張りすぎないのがちょうどいいんじゃない?」という自分に問う声。そこが約束の地なら、またきっと行く機会があるだろうと今回は断念した。車窓から見る海はすごく荒れていた。電車は波打ち際を走り、怖いくらいだ。今回はやめて正解だった気がする。
そしてもう一つ、夕刻までにフィレンツェに戻りたい理由があった。先に紹介した( イタリア便り・4「工房探訪」) の望月氏ら、フィレンツェで活躍する日本人アーティストの展覧会レセプションに招待されていたのだ。古い館(palazzo)を文化支援に公開するというパトローネな環境が根付いている土地。普段公開されない空間を拝見できるのもまたとない機会、もちろんこちらで活躍されている方々の作品も興味津々。是非閉会までに間に合いたかった。幸い電車は遅れることなくフィレンツェに到着。5日ぶりの慣れた道をアパートに向かい、ベットにリュックを放り投げて埃っぽい服を着替えてダッシュ! 間に合っちゃったもんね〜! な〜んだ! 結局欲張りなんじゃん! ( ま〜ね。)
さてさて、自分にとっての最大の「遠い旅」だった南から戻り、ほっとして気が抜けちゃった〜ではいかんいかん! 残り少なくなったイタリア滞在を少しも無駄にしてはいかん! あわてて、昨日Duomoのクーポラに上った。47日暮らしている街をちょっとしみじみ眺めてみた。自分にとって日本以外のもう一つの空になったことは間違いないな〜なんて思いながら。映画「冷静と情熱のあいだ」では主人公の二人がここでドラマチックな再会をするのだけれど私にはそんなドラマは全くないので、一枚スケッチをして、今日はもう閉めますよ〜の声に促されながら降りてきた。
フィレンツェはここのところ、菜種梅雨のように冷たい雨が続いている。3月に着てきたダウンを手放せない日々だ。あんなにジェラートばっかり食べていたのに…。

 

 
 
 

車はその後、Locorotondoという小さな白い町に立ち寄ったあと、夕刻アルベロベッロの中心の広場に着いた。広場の両側の丘に可愛いとんがり屋根のTrulliと呼ばれる家が立ち並んでいる。笑ってしまう、おもちゃの町のようだ。こまごまとお土産物屋さんが続き、「見るだけ、見るだけ」と片言の日本語で客を誘う。久しぶりに聞く日本語。ホッとすると同時に、マテーラやオストゥーニの退廃的な哀愁のようなものが急激に恋しくなった。
2日目、昨日の晴天が嘘のように、冷たい雨になった。お土産物屋さんもすぐに見飽きて、宿泊しているB&B のダイニングのテーブルを借りて写真を頼りに筆を執った。マテーラの時ほど筆が進まない…。こんな日はだら〜っと数枚の絵ハガキをしたためたり、雨の合間に小さなミュージアムに出かけたり。そうそう、同じ宿に宿泊している日本人家族はご子息の結婚式だという。アルベロベッロの教会で式を挙げるため、観光を兼ねて一家で来ているという。すごいですね〜もう軽井沢や清里の教会ではないのかしら? とってもかわいい町だから、きっと一生忘れられない思い出になることでしょう。その御一家とはその後、偶然フィレンツェの街角でばったり再会することになるとは、この時思いもよらなかった。
さて、もう少しアルベロベッロの町について。私の一枚の写真だけではわからないかな〜?白い円形の壁の上に平たい石をグル〜っと円錐状に積み上げただけの屋根、そのてっぺんに白いぼんぼり、屋根には何やらおまじないのようなシンボルマークが…。そんなトゥルッリ群、その歴史は古く、昔領主が税の徴収人が来たときに住居の数をごまかすため、すぐに取り壊して家への課税を逃れた。そのため、こんなつくりの家しか認めなかったとか。ずいぶんな話だけど、それが今、世界遺産として可愛い可愛いと観光客を誘致出来ているのだから面白い。
ここでは他にも絵を描きにひと月ほどイタリアを旅しているという男性と、また、20年前にここにお嫁に来たという日本人女性と話すことができた。こういう出会いも旅の楽しみだ。

 

 
 
 

マテーラで2泊、その後のアルベロベッロで2泊、その移動の途中に、ここも是非行きたいと思っていたOSTUNI「オスツゥーニ」という小さな町。立ち寄ることは出来ないか昨年の秋から実はずっと調べていた。しかし調べれば調べるほど自分の足で行くには不便なところ。町にタクシーが1〜 2台しかないとか、バスは日に2〜 3本?最寄りの駅は…?運転免許のない私にはレンタカーという選択がなく、かなり絶望的。贅沢して( 大人だから許してほしい) 観光タクシーみたいなドライブ移動はできないかな〜と調べてみたら、このエリアに強い日本の旅行会社を発見。その名も「RANAツアーズ」。RANAとはイタリア語で「蛙」のこと! 笑っちゃうでしょ〜? 運命としか言いようがない!現地でタクシーを探したほうが安いのは承知の上で、ここは安心・確実・ケロちゃん贔屓を優先して手配、ドライブと相成った。
快晴〜! 一面に青々と広がる麦畑やオリーブ畑。満開の桜のような花は、サクランボの花やアーモンドの花だという。イタリア人ドライバーCosimoとのハチャメチャイタリア語会話。いろいろ話題はあるもので、今までいった町の話やパスタの種類。サッカーの話。日本人はサッカーが大好きでイタリアのチームにあこがれているとか。
「お気に入りのファンタジスタは?」の質問に( ふぁふぁふぁ…スポーツニュースでヤベッちがよく言ってたよね?サッカーのスター選手のことだよね?やばい〜詳しくはないのよね〜 )日本で開催されたワールドカップの時のイケメン選手リストを思い出して、彼がまだ現役で活躍していることを先日スポーツニュースで知った ! ! ! 「Mi piace デルピエロ」と言ったら、「おおー!デルピエロ!僕もお気に入りだよー!」ってな具合で、男子にはやっぱり、スポルトネタだ。
なんて言ってるうちに、白い町OSTUNIに到着。一つの丘がまるで白いお城の様に真っ青な空の下にたたずんでいる。それも真っ白ではなく、微妙に生成りやちょっと緑がかった表情のある白。観光化され過ぎていないから、塗ったばかりの白ではないちょっと汚れた感じに哀愁を感じるのだ。ここの「白」を描くために、実は水彩画ではあまり使わない白い絵の具を何種類も日本から用意してきた。でも角を曲がるたびに違う影を見せるOSTUNIの町。写真とスケッチに精一杯で着色までは至らない。私が速攻スケッチをしている間にCosimoは先に数歩ロケハンして次の魅力的な「白い町角」を探してくれた。この日一日で私はすっかり日焼けした。

 

 
 
 

安心してください。崩れ落ちそうな洞窟…といっても、そこは世界遺産の観光地。保存と改修を繰り返しながら、いいところは残し、道路は整え、きれいなレストランもカフェもある。駅の反対側にはモダンなニュータウンも広がっていて、ちょっとほっとした。
私が選んだ洞窟ホテルは、そんな中でも限りなく当時の生活を体験できるような風情あるもの。世界的なこだわりホテルとして、雑誌に紹介されたこともあるそうで、どれが部屋かわからないような岩にへばりついた部屋が18部屋。ホテルとしての大きな看板もないので知らない人は「こんなところ、人住んでないわよね〜」と言いながら横の階段を上り下り、風景に溶け込みすぎ?の宿だ。
一応敷地内?と思われる洞窟教会跡で食べる手作り朝食は格別、白いぽってりした食器がマテーラのイメージそのものだ。部屋は「絵を描くためにマテーラに来た」と話したら、小さいながらも一番大きな窓のある部屋を用意してくれた。窓に向かって武骨な木のローテーブルが置かれ、使い込んだ綿のリネンがカーテン代わりにかけられていた。そして窓の向こうには野性味あふれる渓谷がぐ〜っと広がっていた。 素晴らしすぎる景色だ。ここでの滞在は一生忘れられないものになった。

 

 
 
 

4月は人生の中で最も贅沢な一か月と自覚しているが、割高覚悟の一人旅。それでも、何とかたどり着きたい「イトリアの谷」( バジリカータ州とプーリア州にまたがる、マテーラ・オストーニ・ロコロトンド・アルベロベッロ) ここだけは絶対行くと決めていた。ブーツ型のイタリアの丁度くるぶしのエリア、フィレンツェからは遠い。
夕方6時にベットに入ったのにTVで一番好きな映画「ベンハー」をやっていて、イタリアで見れるなんて!と感激して見入ってしまった。結局一睡も出来ずに、10日午前3時! リュックを背負ってアパートを出る。さすがブランドストリート、こんな時間でもウィンドーの照明は明々と。「この電気代、そのBAG につけといて!」と言いながら駅前のバス乗り場へ。ここからエアポートバスでピサ空港へ。イタリアへ来てからアイルランドの格安航空券をGET、一気に南下して1時間少しで港町バーリ空港へ着陸。この飛行機、着陸と同時にファンファーレが鳴って乗客みんな拍手! なんだか楽しい。
そこから最初の目的地マテーラへ。直行バスがあることもイタリアに来てから知った。インターネット様様だ。明るい日差しの中でそこは、枯れ果てたような、時間が止まったような、ここぞ世界遺産!というような見たこともない特別な光景が広がっていた。
Cinziaはマテーラに行きたいと言ったら眉をひそめた。「ローマより南に一人で行くのは感心しない…あんな、貧しい辺鄙なところ。( 電子辞書直訳)」…と。通り過ぎるだけの観光客には計り知れない悲しい歴史のある街なのだ。戦後の農地解放前の小作農民が電気も水道もない洞窟住居に住み、イスラム教徒の迫害を受けたトルコの僧によって隠れるように洞窟の教会が作られた。現代の文明から取り残されたようなSassi( サッシ・洞窟住居) の街なのだ。
メディチ家の宝物だらけのゴージャスなフィレンツェとは別世界だ。でも、どちらもイタリアの個性だから、どちらも見ようと心に決めていた。人が暮らしているのかいないのか…今にも崩れ落ちそうな石灰石の階段の建物群、人影もまばらで夢を見ているような…。まさしく一睡もしていない私にはこれこそ「白昼夢…」照りつける日差しにくらくらしそうだ。
こだわりぬいて決めた超自然派の洞窟ホテル。ひんやりした石の床にリュックを下して、景色の中に溶け込むように、しばしお昼寝……。

 

 
 
 

パスクワ(イタリア語で、復活祭・イースターのこと)は、カトリック教徒が大半を占めるイタリア国民にとってクリスマスと並ぶ重大行事で、パスクワ休暇で連休になる。しばらく前から復活をイメージさせる卵形のチョコレートが鮮やかなデコレーションで店先に並び、連休を利用した観光客で町はごった返している。今年の復活祭が4月8日だと知った時から、この日は遠出しないでフィレンツェにいようと決めていた。町がどんな雰囲気か体験したかったからだ。
日曜日の朝10時ごろからDuomoの方に向かって歩いてみた。町中の教会が鐘を鳴らしているのではないか?と思うほど…おそらく、そうなのだろう。今鳴らさずに、いつ鳴らす!といわんばかりに、町中に鳴り響いている。Duomoの前は小雨に傘の花が咲いていて、全然見えない。そりゃそうだよね。ここはメイン会場。爆竹が仕掛けられた山車のようなものと主祭壇がセッティングされているらしいけど、黒山の人だかり。
あきらめかけたとき、ふと、人の流れが…それに乗ってDuomoの中へ。え!?こんなすごい日にDuomoに入れるの?あの、花の大聖堂だ(フィレンツェの大司教座聖堂Cattedrale di Santa Maria del Fiore)。思えばフィレンツェに来て40日近くになるのに、Duomoにはまだ入っていなかった。いつでも来れると思うと、そのうち…と思って後回しになっていた。それが、こんな日に。中には祭りに参加する華やかな民族衣装を着た男たちが、いざ出陣!と気勢を上げていた。わ〜イケメンばっかり!( おいおい! ) 世界共通だと思うけど、祭りの衣装を着た男たちって素敵だよね?
そして、彼らが出て行ったあと、大聖堂は厳かな祈りの時間に包まれた。熱心なキリスト教徒に混ざって観光客、野次馬、報道関係者…それら全部を飲み込んで祈りの歌、大司教のお言葉が響く。ヴァザーリが描いたクーポラのフレスコ、「最後の審判」に吸い込まれそうだ。いまだかって経験したことがない雰囲気で、涙がこぼれる。周りの人も泣いていた。宗教的にどうこうではなく、こういう経験ができて幸せだな〜というような、こういう時間を包み込んでいるこの大聖堂もすごいね〜っていうような。
流れに任せて、こんな厳かな時間に遭遇できるなんて、申し訳ないやらありがたいやら。幸運を使い果たしてなければ良いが…。

復活祭とは…毎年変わり「春分の日の後の、満月の次の日曜日」、最後の晩餐の後ゴルゴダの丘で十字架にかけられて亡くなったキリストが3日後に蘇ったことを祝す日だそうです。

 

 
 
 

イタリアは何と言ってもジェラートがおいしい。本来冬の食べ物だそうで(シチリアの山の氷を持って降りて、作ったところから)、 でも、もちろん初夏の日差しの中で食べる方がおいしいよね。
街のあちこちにジェラート専門店「Gelateria」があり、老いも若きも、あちこちでぺろぺろ。日本でいうラーメン通のように、どこどこの店の何ラーメンのスープが…と評したくなるような、それぞれの店がフレーバーや製法にこだわり、競い合っている。
イタリア人の年間ジェラート消費量は一人当たり12キロだそうで…私も2日に一度は食べちゃってるかな〜。天然素材にこだわった「GROM」の〈洋ナシ・peraとcaffe〉「carabe」の〈ピスタチオ〉「carapina」の〈トマト・pomodoroとシチリアオレンジ・arancia〉…私のお気に入りだ。カップかコーンのサイズを注文してショーケースを覗きこみながら、あれとこれと!と指さす。大体一番小さなカップに2種類。1.5ユーロから3ユーロくらい。目抜き通りの派手なディスプレーの店より、脇道に入った地元っこが通う店のほうが安くておいしい。私はまだ未経験ですが、そのジェラートの上に生クリームを乗っけるってのもありだそうで…一日軽く2万歩は歩いていると思うけど、カロリー心配だよね。ま〜いいか。もう! 一生分食ってやる〜ってくらい食べて帰りましょっかね〜。
写真はアパートの窓から中庭を見下ろして。

p.s.
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有名だからとか、何が見たいからとかではなく、無性に行ってみたい所。それは広い世界の小さな小さな点で、自分のたくさんの毎日の中の、ほんのひと時にすぎない。それが一致して、自分の中の約束の地のようなところにたどり着けた時の喜びは大きい。それが楽しくて、旅行好きの血が騒ぐのかもしれない。
サンマリノ共和国。( おい!それはイタリアじゃないだろう!と、突っ込んでください)そ〜です。世界で5番目に小さい最古の独立共和国。フィレンツェからボローニャを経由して地方列車でリミニへ。約3時間。リミニからバスで1時間。バスはウネウネと山道を登って行く。たどり着くには気力体力が必要な距離だ。着いた約束の地は、あいにくの小雨。期待した絶景は霧にかすんでいた。でも、そこに来れた嬉しさでわざわざパスポートに入国スタンプを押してもらった。途中、ロシアからの一人旅の女の子と一緒になり、たがいに写真を撮りあったり一緒にピザを食べた。郵便局探しを手伝ってもらい、最後には二人してバス停探しに迷子になった。道を訪ねても英語もイタリア語も不十分な二人。返事を聞き取ることができない。あっちへ行ったりこっちへ行ったり…。霧雨が二人の体力を奪っていく。やっとの思いで乗れたバスがリミニの町に戻ってこれた時には、抱き合って今後の互いの、旅の無事を祈願しあって別れた。おそらく、こういう事が忘れられない思い出になるのだろう。
疲れ果てた体を癒してくれたのは、イタリアに来てからネット予約したリミニの駅から近いデザイナーズホテル。新しくて快適だ。何より全身伸ばせるほどの浴槽付き!ああ!丁度一か月ぶりのお風呂!シャワーでは取れない疲れが溶けていく…。極楽極楽〜日本人だわ〜。日本人といえば、今日一日全く日本人を見かける事がなかった。こんな事は珍しい。思えば遠くに来たもんだ!見知らぬ異国でポツンとひとり…。お風呂でもう一度大きな声で叫んでやろう!あ〜極楽極楽〜!
今回の写真は、そんなわけでサンマリノではほとんどスケッチする余裕なし。前日に訪れた、オルヴィエートのDuomo より。

 

 
 
 

フィレンツェ暮らしも後半、ホームスティを卒業していよいよアパートでの独り暮らし。留守がちなのに贅沢だが、インターネット使い放題で光熱費込み、便利で安全な環境を求めたら、20畳くらいありそうな…かっこいい部屋になってしまった。
建物は博物館かと思うような厳かな、階段の途中にはミロのビーナスみたいなのが立っていてちょっと怖い…。天井が高くて、絵が描かれている。インテリアはモダンでちょっとセレブリティーな雰囲気だ。日本橋の下宿から、銀座のマンションに引っ越したような…(わかり辛いか?)
自炊なので買い物に。中央市場は平日の朝しかやっていないので、近くの高級スーパーにハムやチーズ、果物、ラビオリ、ハーブの詰め合わせ(これはフレッシュなので当分グラスにさして観賞用に)、大きなレモンはさっそく描こう!アパートが立派だからと言って私の財布の中身が立派なわけではない!勘違いしてしまいそうだ。
スーパーだとお総菜売り場で「それを少し」くらいの会話。ダメだな〜無口に過ごしてしまう。せめて、テレビをつけっぱなしにしよう。パスクワ(復活祭)一週間前でローマ法王の式典の様子をずっと中継している。スポーツニュースはサッカーより、今日はフィギュアスケートのカロリーナ・コストナーの勝利を伝えている。
さて、今月は旅行月間? Cinziaに「吟遊詩人のようね、よい旅を」なんていわれて送り出してもらったけど、転々と旅するバックパッカーはとても無理。ちょっと行っては帰りを繰り返して、博物館のようなアパートで爆睡する、そんな4月になるだろう。元気で過ごせますように…。
そうそう。イタリアのケロちゃんとの出会いは?との問い合わせ多し。すでに8匹、出国手続き中(笑い)です。

 

 
 
 

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