■2018年3月の「絵てがみコラム」
  6年前のリベンジ成らず! あの時も早春の冷たい霧雨でティターノ山にそびえるサンマリノの3つの塔を見ることができなかった。サンマリノ共和国はイタリアの中にある世界で5番目に小さな独立国家。西暦301年ローマ皇帝に迫害された聖マリーノが逃げ込んだティターノ山にキリスト教を信仰する人々が集まって小さな共同体を形成したのが始まりとか。現在では世界で最も古い共和国で、平和で民主主義の世界的なモデルとして世界遺産にも登録されている。ガイドブックによると晴れていれば12世紀〜13世紀に標高750メートルのティターノ山に建てられた3つの要塞の塔とアドリア海、果てはクロアチアの海岸線まで見渡せる…はずなのだが今回もそれらは白い霧に覆われていた。
ただ到着した夕方、少し空が明るくなり、山裾から雪をかぶった下の街並みとまるで雲海のような絶景を望むことができた。その青と薄墨の色と雪と霧の白と、この瞬間だけしか見れない貴重な風景を見ることができたのかもしれない。2度あることは3度あるなんて言わないで、またおいで! 次こそは…って呼んでいるのよ。ってだれかが言った。
日帰りの観光客もすっかりいなくなって夜の美味しいディナーも貸し切り状態。山の頂上近くの小さな老舗ホテルも客が少ないのだろう。静かで居心地が良い。スタッフもすぐに顔なじみだ。私たちは久々にバスタブに熱いお湯を張って体を休めた。
旅も折り返し地点、明日はティターノ山を下っていよいよフィレンツェ! もう一人の友人と合流だ!
 
 
  ラヴェンナへは何と27年前に壁紙業界の研修旅行で、会社から行かせてもらっていた。たしかモザイクの街と言う、かすかな記憶を今回鮮明に修復できた! 小さな町ながら見どころがぎゅっと詰まった素晴らしい所なのだ。
ルネッサンスの時代から1000年近くさかのぼる、ヨーロッパでは非常に珍しいビザンティン文化の宝庫。教会の内部、廟の天井を細やかな色の石・古くから伝承されるズマルトと言われるガラスでぎっしり埋め尽くされた超絶モザイクなのだ。その色は色あせることなく「永遠の色彩の絵画」と呼ばれている。粒粒の石片で描かれているがゆえ、図案化されたり、聖書の中のエピソード、聖人や動物などの表情もややコミカルだったりして、美しくも親しみやすいのである。サンヴィターレ教会、ガッラ・プラチーディアの廟、ネオニアーノ洗礼堂…いずれも外観は地味で見落としてしまいそうなのだが、中に入って薄暗さに目が慣れたころ…もう絶句! 口を開けたまま「凄すぎる…」としか言いようがないのである。
恐ろしく大昔の芸術家と職人たちの力作の数々に圧倒され、半日このモザイクの街を堪能して最後に訪れたのが、街の郊外、野原の中にポツンと佇む「サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂」一番見たかったのがここ! 心弾ませ聖堂の入口へ…そんな私たちを迎えてくれたのが1羽の真っ白な鳩! 残った雪が動き出したかと目を疑ったが、本物の鳩…。さっき見たガッラ・プラティーディアの廟の「水盤から水を飲む鳩」のモザイクから抜け出したような白い鳩…ちょっとした感動であった。
 
 
  うっわ〜雰囲気ある〜! フェッラーラの旧市街の観光エリアから少し外れた小路、ヴォルテ通り。名所という訳ではないけれど、見上げると通りを挟んだ建物をアーチ型の屋根付きの廊下が結び、幾重にも続いている。ちょっと不思議な光景で、建物も古く味わい深い。ファッション雑誌の撮影やデートにはうってつけだろうな〜なんて話しながら。でも店などは少なく、商売っ気がない。それがいい所かな〜モデル気分で何枚も写真撮影。傘が無ければちょっとスケッチしたい所だった。
そしてこの通りのトラットリアで昼食を。フェッラーラ名物、風船のように膨らんだ揚げパンにサラミや生ハム、ピクルスを挟んでパクパク! 念願のかぼちゃの花のフライも、甘みがあって美味しい〜!花の中にかぼちゃとチーズが練りこまれているのね。寒いけど大満足なフェッラーラへのショートトリップでした。
夕方無事ボローニャの街にご帰還。歩きなれたポルティコを通って、昨日気になっていたセール中のブティックへ。ふふふ!70%オフ〜かしましい女旅、自由時間だらけのこんな買い物タイムは大好物!骨董市の品ではなく、すぐに着れるお買い得品をあれこれ物色してホテルでは遅くまでファッションショーが続いたのである。
 
 
  ボローニャから電車で約30分、ルネッサンス時代に繁栄した街「フェッラーラ」に。自動券売機で、画面を英語に変えることなくイタリア語で切符をゲット! ちゃんと往復買って第一ミッションクリア!車窓は雪景色だ。
実はフェッラーラでは骨董市を楽しみにしていたのだがこの天候では…。骨董品を買いたいという目的ではなく、個展のための絵のモチーフ探し、小さくて素敵なモノを色々見たかったのだ。駅から少し離れたエステンセ城の前の広場が会場。タクシーのドライバーに尋ねても「う…ん天候が…」「やっぱりダメかな〜」お城が近づいても骨董市の気配が無い…。「niente ニエンテ〜(イタリア語で何も無い)」「え〜〜niente〜?」「そ〜か…nienteか〜」…残念な言葉だけど車の中はニエンテの連呼。笑うしかない。こんな片言イタリア語を楽しみに来たんだもの、いいじゃない!
町一番の観光スポット・エステンセ城も空いている。暗い牢獄や見事な天井装飾などを見た後、塔に登ってみた。この城は水堀が周囲を囲み、中世を舞台にした映画などでよく見る跳ね橋を渡って入る、豪壮なエステ家の城で16世紀に完成した。4隅に塔があり急な階段を上ると360度の眺望が広がる。数日前にはかなりの積雪だったと思われる、なごりの雪がまだ街を覆っている…3月3日…氷点下。
 
 
  ボローニャと言えば「食の街」でもある。ボローニャを中心にパルマ、モデナを含むエミリア・ロマーニャ州はポー川流域の穀倉地帯、小麦やブドウの栽培、つまりはワイン、バルサミコ酢、豚や牛の飼育も盛んでハムやチーズも。市場にはパルメジャーノ・レジャーノの大きな丸ごとチーズがガツンと割られて量り売りされている。
まずは本場でボロネーゼを食べなくっちゃ! 麺は卵が練りこまれた生平麺。ミートソーススパゲッティじゃなくって「Tagliatelle al Ragu」が正式名だ。肉のうまみが違う! ニクニクしくってトマトソースのつなぎなんてほとんど無い! 麺も細くないから肉がしっかりまとわり付いてきて、ごちそうパスタだ! パルメジャーノがたっぷり包まれたトルテリーニも美味! 餃子の端をつないでドーナツ型にしたような形だけど、その皮ももちろん生卵麺なので、とぅるんとぅるん〜!美味美味! ピザの大きさには参ったけれど、3人だと色々シェアして食事を楽しんだ。
そうそう面白いことがひとつ。イタリアの定番野菜、ほうれん草のニンニク御浸しみたいな料理があるのだけれど、それを食べた後に苺!あのショーケースのデザートの苺を食べたい!と言ったつもりが、御浸しの周りに苺が3個、生ぬるくならないようにちょっと離して盛り付けられて出てきた。大爆笑! 日本人は変わった食べ合わせをするもんだと思われただろうか…。チップをはずむべきだろうか…。
 
 
  3月1日、春の嵐が通り過ぎた成田空港から私たちは一路イタリアへ。幸いにもローマ到着は遅れることもなく、そのまま国内線に乗り換えて一気にボローニャへ。この町へ飛行機で乗り込むのは初めて。私たち以外に日本人の姿もなく、鉄道の乗換駅としては何度も来た町だけど…飛行機のタラップはザクザクの積雪! そこは氷点下の寒さだった。
今回の旅は細々と続けているイタリア語クラスの仲間との3人+途中フィレンツェから一人合流の4人旅。同世代、気持ちだけは女学生! 卒業できない卒業旅行みたいな旅だ。とにかくイタリア語を使ってみよう〜!4人で補い合って半人前! 珍道中請け合いだ。
しょっぱなから春の嵐…そして雪! そんな足元を救ってくれたのは「ボローニャのポルティコ」(建物の軒が張り出ていて雨風がしのげる柱廊)旧市街だけで38キロにも及ぶ柱廊が張り巡らされているのだ。きっと雪が多いところなのね〜と妙に納得していたのだけれど(38年ぶりのヨーロッパ異常寒波襲来が終息したところだったようで…)、実はボローニャと言えばヨーロッパで最古の学、ボローニャ大学で知られる街。11世紀の話だ。世界中から学問を志した学生が集まり、その学生を受け入れる貸し部屋が不足して、部屋を拡張して2階を突き出してその下に柱を立てたことから始まり、最初は木造、そして石造りの丈夫で美しいものに受け継がれていったらしい。イタリアはそんな歴史が一杯の街だらけ。興味は尽きない。
今回はこのボローニャに3泊滞在して近郊の街にも足を延ばした。
 
 
 

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